マイミクという言葉のスゴさ、友達という言葉の軽さ

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こんにちは。長谷川亜由美です。
ミクシィ(mixi)って、ご存じですか?
mixiには、次のように説明があります。

mixi(ミクシィ)は、日記、写真共有、ゲームや便利ツール満載のアプリなど、さまざまなサービスで友人・知人とのコミュニケーションをさらに便利に楽しくする、日本最大規模のソーシャル・ネットワーキングサービスです。

・・・さっぱりわからん(笑)
ようは、現実世界でのサークルのような集まりが、インターネット上の、限られた空間にあるもの、みたいなことでいいと思います。
mixiがあれば、居住地にかかわらず、友人たちとつながっていられる(ような気がする)。
たとえ、なんのコンタクトをとらなかったとしても、自分のページに、いつも彼らの顔写真があるから。
彼らの近況は、自分から知ろうとしなくても、mixiを通じ、自動的に送られてくる。
彼らの日記を読んだり、写真を見たり、さらにはゲームを楽しんだりもできる。
それも、限られた空間の中で。
それが「mixi」
ご存じない方は、そんなふうに、とらえておいてください。
そして、ほんのちょっと昔話を・・・
私がインターネットを始めたころは、掲示板やチャットが流行っていて、顔も知らない声も知らない人たちと、夜な夜な文字だけの会話を楽しんだものでした。
本名ではなくハンドルネームで呼び合う関係。
なおちん まっちゃん、ぶんちゃん などなど、ちょっと思い出すだけでもなつかしい名前が脳裏に浮かびます。
でも、彼らと私との間には、どういう関係性があったのか?と問われると、回答に苦しみます。
彼らをハンドルネームで呼ぶことはあっても、「友人」と言いきれるだけの絆がなかったように思うからです。
メールのやりとりだけをする人を「メル友」なんて呼びましたが、それも違うし。
「ちょっとした知り合い」とか「ネットで知り合った人」とか、こうなんていうか、ぴったりはまる言葉がなかったんですね。
姿形の見えない彼らが、本当に実在する人物であったのか、いまとなっては確かめる術がありませんし。
バーチャル世界にしか存在しない人たちだったのかもしれないです。
ところが、mixiという、ある意味閉鎖的なスペースの中で、限られた人間たちとの交流が始まると、私が感じていた「モヤモヤ」がいっきに吹き飛びました。
それが「マイミク」という言葉です。
mixiの中での友人のことを「マイミク」と呼ばせた。
これは本当に革命でした。私にとって。
掲示板やチャットでも、特に仲の良かった人たちと、mixiでつながるようになって、ようやく彼らが実在の人物に近くなった。
そして、会ったことのない彼らのことを、リアルな友人に話すときに
「私のマイミクさんがね」
と、言えるようになった。
「マイミク」って、言葉を造り出した人って、スゴイなーと思います。
ところが・・・
最近、耳にしたことはないでしょうか、フェイスブック(facebook)。
これも、mixiみたいなものだと思っていただいていいです。この段階では。
でも、フェイスブックで言うところの「マイミク」は、なんと「友達」なんですね。
だから、誰かとつながりをもとうとすると
フェイスブックの画面では「友達になる」とか「友達リクエストが届きました」とか「承認されました」なんて、出るわけです。
mixiでは、基本的には「マイミクシィに追加」です。
これは、似て非なるものです。
またしても私のモヤモヤが始まってしまいました。
たとえば、現実には友人ではなくても
・取引先の方
・友だちの友だち
・セミナーで知り合った人
・私が一方的に知っているだけの人
なども、まとめて「マイミク」と呼べてしまう気軽さが、mixiにはあったけれど
こういった方たちを、フェイスブックでは「友達」と称する。
この納得のいかなさ加減が、どうにも、モヤモヤするのです。
だって、お客様もいらっしゃれば、たった1度、顔を合わせただけの方もいます。
その方たちは、決して、私が定義するところの「友達」では、ありません。
知人とか、お知り合いとか、勝手に知ってるとか、そういう関係です。
友達と呼ぶなんて、おこがましいだろうっていう方もいます。
私があんまり、フェイスブックに執心していないのは、こんな理由があるからです。
「友達」という言葉の軽さが、どうも気持ち悪い。
どうにも、腑に落ちない。
困ったものです。
余談
子どものころ、遠く離れたところに住む友人と、文通をしていました。文通をする友人のことは「ペンフレンド」と呼んでいました。
ピグ友だの、モバ友だのと言っている、現代の子どもたちには、わからない言葉でしょうね~

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